〜「異質な存在」だからこそ地域を盛り上げられる刺激になれる〜
本記事は【Youは何しに湯沢町へ?Vol.5】インタビュー動画のダイジェスト版となります。
今回お話を伺ったのは田村恭平さん(取材当時36歳、2022年12月14日時点)。
■田村さん プロフィール
シンガポール生まれ。家族の転勤で、幼い頃から日本と海外(米国やアイルランド)を行ったり来たりしながら過ごす。高校進学に合わせて日本に帰国。大学在学中のアルバイトで接客業の楽しさに気づき、2011年に湯沢の旅館で新卒入社。2016年に結婚。現在は家族経営の宿「ヴィラ・グリーングラス」を3代目の妻と切り盛りしながら、「地域案内人の家 おらっぽ」のメンバーとして、全国通訳案内士・地元の観光ガイドとしても活動している。
海外生活の原体験から「異質でいいが、寄り添う努力」が必要
父親の仕事の都合で、日本と海外を行ったり来たりする生活を子供の頃から送ってきましたが、自分は器用なタイプではなかったので、置かれた環境に順応するのにとても苦労しました。米国では自分の意見や考えをしっかり伝えることが大事とされますが、内向的な性格だったこともあり、自分の意見を伝えることにとても苦労しました。やっと慣れてきたころに日本に戻ることになったのですが、今度は「自己主張が強い」と認識され、周囲に馴染むのにつらかった経験があります。数年が経ち、またアイルランドで生活し始めたときは、異文化への適応がしんどく大変だった記憶がありますね。 こうした経験からか、湯沢で生活を始めてから10年以上が経ちますが「馴染んだ」という感覚はありません。
むしろ、その環境に自分の核を無理に合わせて100%馴染もうと頑張る必要はなく、「異質な、特殊な存在」であれば、それはそれでいいと考えています。それが地域を盛り上げる刺激になると思うので。 ただ、その社会に「お邪魔させてもらう」という姿勢は大事で、例えば、地元のルールが分からないのであれば「自分はこうしようと思っているが、これでよいのか」といったコミュニケーションなどの寄り添う努力をする必要があると思います。
そうした努力が見えたときに、受け入れ側も合わせようと歩み寄ってくれるようになり、紆余曲折しながらようやく外から入ってくる人が”地域”の一員になるのではないかと考えます。
まだまだ自分もできていない点もあるので、この感覚は常に持ちながら過ごしていきたいです。
宿泊業を営みたいと、新卒で地方移住
昔から歴史が好きだったので、当初は教員を目指していましたが、大学在学中のフグ料理屋でのアルバイトがきっかけで、接客業を仕事にしたいと思うようになりました。アルバイト先では、普段からフグに馴染みがあるお客様は多くないので、お客様のテーブルで鍋や雑炊を作ったりすることもありました。そのときにお客様と会話をしたり、お客様の反応を見たりするのが楽しかったです。
印象に強く残っているのは、ある日お客様からの予約の電話を受けた時に「上田くん(田村さんの旧姓)、その日入っている?」と言われ、別日にシフトが入っていることを伝えると、お客様が自身の都合を変えて、自分のシフト日に変えてくれたことです。とても嬉しかったですね。また、お客様から勤務後に飲みに誘っていただくこともあり、接客業を志すようになりました。 自分がやりたい接客とは、お客様に長く寄り添ってお客様の時間を有意義にできる形であると考え、飲食業ではなく、宿泊業を志望し、最終的には自分のお店を持ちたいと考えるようになりました。
そのためには、宿泊業界での経験を積みながら、オーナーになるためのさまざまな勉強をしないといけないと思い、就職先は、いろんなことをやらせてもらえそうな中小のホテル・旅館に絞りました。 就職活動を進めているうちに、人手不足などを理由に人材を求めている企業は多いのですが、自分が掲げる条件にあてはまるような、大学生を積極的に採用して育成したいと考える事業者はわずか全国47都道府県で3軒しか見つかりませんでした。
その一つが、就職先となった湯沢の井仙(いせん)です。取組みも魅力的であったため、地縁もない越後湯沢ではありましたが新卒で就職し、地方移住をしました。
井仙でのオールラウンダースキルが、家族経営の宿でフル活用
井仙では本当にさまざまな経験を積ませてもらいました。就職後はまず、観光協会に10カ月ほど出向し、観光協会主催の日帰り観光バスの観光ガイドや旅行商品(ツアー)の企画をしていました。
その後、旅館に戻ってレストランのホールを担当したり、東京に期間限定で出店した店舗や越後湯沢駅構内の飲食店での店長・副店長、旅館内のレストランのマネージャー職など、さまざまな場所や部署、職種を経験させていただきました。
また、井仙での働き方はマルチタスクだったので、メイン業務を持ちながら、合間にフロントに入ったり、売店で接客したり、まさにオールランダーで動いていました。本当に、さまざまなスキルが身についたと感じています。
現在は、妻の実家が代々家族で経営している宿で、若旦那として一緒に奮闘しています。
家族の事情もあり、結婚前の数年は所有する体育館を利用した合宿や、スキーの団体のお客様のみ受けていましたが、自分が加わってからは個人のお客様のご予約を再び取り始め、今はじゃらんや楽天トラベルといったOTA(Online Travel Agent)予約での対応や、繁忙時の接客、調理、数字管理、冬場は除雪など、ここでも何でも屋さんとして動いています。
井仙で学んだことが総動員されて活かされていますね(笑)。
分かりやすい四季の「植生」変化が湯沢ならでは
ここで湯沢の好きな点についてお話しします。日本は四季の変化が世界の中でも特にはっきりしている国ですが、四季だけでなく、季節と季節の変わり目(グラデーション)が分かりやすいのが湯沢の魅力だと思います。時間をかけてゆっくり移っていくので、植生や雪景色の変化ではっきりと感じられるのです。
たとえば、4月は人里や山がまだ雪で覆われていますが、山の一部の斜面には緑が現れたりしてきます。気温がどんどん暖かくなってくると、山の緑の濃淡がより分かるようになり、その変化を見ながら「そろそろあの山菜が採れる時期だな」と山に入っていきます。
大半の方は、気づいたらその季節がやってきて「あ、準備しなきゃ!」となると思うのですが、湯沢では「そろそろあの季節が来るな」と、景色を見て準備をする精神性が素敵で、魅力に感じます。
「根無し草」だからこそ地域の良さに気付きやすい
景色を見て準備をする精神性は昔から湯沢にあって、地元の方々にとっては当たり前かもしれません。自分が外部から入ってきた「根無し草(=異質な存在)」だからこそ、こうした事象を魅力として強く感じられるのではないかと考えます。
宿泊業というのは地域が盛り上がっていないと成り立たない仕事です。
いつか自分の娘が宿泊業に携わりたいなと思ってもらえるよう、魅力をどんどんたくさんの方へ伝え、楽しんでもらうことで地域を盛り上げ、宿の仕事をしっかり確立させることに結びつけたいと思っています。
「おらっぽ」で観光ガイドをしているのもその理由です。
長年かけて得た技術を持っている人がいる、地域の慣習が形成された背景にはこんな理由があるなど、日常生活に溶け込みすぎて地元の人が気づかない部分を地域の魅力として焦点を当てようとしています。
個人個人がそれぞれ頑張るのではなく、地域の事業者が一体となって協力し合う必要が、地域活性には必要だと考えます。
それぞれが情報を共有してみんなで良い部分を真似ていくことで、地域全体の魅力向上につながり、最終的には外部から人が集まり、それぞれのホテルや旅館や民宿にリピートしにきてくれると信じています。 田村さん、ありがとうございました!
ぜひ、田村さんのガイドで、湯沢の知られざる魅力に触れてみませんか?
「湯沢 おらっぽ」で検索してみてくださいね。
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